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OB宅20年点検@長野市

2021.02.27|点検・メンテナンス
塩原真貴

「10年ひとむかし」 と言いますが、20年という月日はどのように表現できるでしょうか。 27歳の青年が現場管理を担当したポスト&ビーム工法、しっくい左官仕上げの真壁造。 リンゴ畑を盛土で造成した敷地でしたが、基礎工事の際、土を掘ったら産廃と呼べるゴミが出てきて建築主に報告。 着工間もなく工事をストップし、土地を販売した不動産屋と押し問答の末、敷地内の盛り土をいったんすべてほじくり返し、 産廃を処分したうえで再度仕切り直しして工事を始めた記憶が蘇ります。

前述の言葉によると、20年という月日は「ふたむかし」となるはずだが、 木造住宅の場合「熟成の20年」と言って差し支えないのではあるまいか。 深い軒、梁上の水切りは、確かに建物寿命を延ばすのだ、 という実感を胸に、2時間かけて各部をみっちり点検した。 外気にさらされた木の表面は、当然ながら樹皮のように黒く変色しており、 生命体としては確かに死んではいるが、こうして屋根を支え、地震に耐え、暮らしを支えている。 動物よりも植物の方が有用性があることは自明の理。 以上余談。

外壁しっくいを接写。 よ~く見るとひび割れもところどころにあるにはあるが、耐水性や防火性は当然担保され、 左官職人のコテ跡がやや残された表情は、やはり本物素材の貫禄があるわけで。 さらに嬉しいことには、この壁を塗った左官屋さんとは今なお取引が続いており、 若かりし彼らの仕事を共にしたことの思い出も、この瞼の裏に在ることである。 なんだか今日は司馬風の文体である。 さらに余談を続けてみたい―

このような人工的なものの憐れみをも暴露しておく。 屋根材の軒先の様子で、鼻先(はなさき)と呼ばれる部位である。 薄型スレート屋根のさきっぽにはコケが生えている。 これはもはやどうすることもできない。20年だから製品寿命だともいえる。 しかしながら見方によっては、これはこれで味わいのある姿といえるのかもしれない。 これまた個人的見解の余談。 仕事人としては「軒先の屋根材は塗装塗膜の劣化により基材が暴露。結果コケ等の植物体が繁茂しており、漏水の可能性すらある」 としなければならないわけなのだが。

歩を進め室内へ— 無垢一枚板(米松)をカウンターに仕立てた洗面器。 20年の時を経て、何千回、いや何万回人の手を顔を洗ったか。 陶器周辺の塗装塗膜(ウレタン)は剥がれ、オーナーからは「ボロボロになってしまい」というコメントが聞かれた。 しかし触ってみると腐っている感触はないし、天板自体が反っていることもない。 意図的にこうした味わい深いものは作ることはできず、これはこれで「もののあわれ」を感じさせるではないか。 これも余談ながら、筆者は「削るにしのびない」という評価を下してしまった。(点検びと、失格か?)

20年前には「へー」としか発せられなかった、建具の組子細工。 50の近くになると、こうしたものが「わかる」ようになってきたともいえるのか。 長野市にはかろうじてこうしたものをつくることができる組子職人がまだ存在しており、 聞けば息子さんがその仕事を継ぐために家業に入ったと聞いた。 以前NHKかなにかのTVで、組子職人のドキュメントを見たが、こういった木工技術は西欧では発展をとげず、 日本の独特で誇るべき文化のひとつである、と紹介されていたように思う。

材料は木材のみ。 寸分たがうことなく加工された木材パーツを、接着材をまったく使うことなく規則的に組み上げ、 模様、陰影、質感、 そこには動物としてのヒトが、積み上げてきた技術、多人を想いやるやさしさが凝縮されているということができよう。 人間は居住環境に光を求めるが、実は明るくすることだけが目的なのではなく、 影との対比、つまり光に映し出される質感や模様、色に感銘を受けることができるのである。 文体がかなり支離滅裂。どうかお許しいただきたい。

ここ数か月というもの、あらためて「建築とはどうあるべきか」 というようなことを、あらゆる書物をまさぐって見聞を深めようとしている個人がいるわけで、 少し刹那的な感傷にわが身を置いているのである。 備忘録的に、最近胸に突き付けられた一文を。いまから180年ほど前に生きた人の言葉。 人間はしょせん滅びるかもしれず、残されたものは虚無だけかもしれない。 しかし抵抗しながら滅びようではないか。 そしてそのようなことは正しいことではないと言うようにしよう。 (仏・セナンクール1770~1846) 滅びるか滅びないか、一介の建築士の行動も試されていると思わずにはいられない。 2021.2.27 Reborn塩原

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