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戦友の家。

2020.11.24|Reborn物語
塩原真貴

10年前の時を想う― 八ヶ岳のふもと、原村OB宅、10年点検。

いやぁ、コレコレ。 風格っすね、木のいえの。

5年点検はオクボっちが担当したので、実に完成から10年ぶりにKさんと面会。

コロナがなければ抱きつきたいくらい懐かしかった。

この建物を完成させるのに、実はとてつもなく感慨深い思い出があるのです。

もうすぐ10年経つので、そろそろアノ頃の話を出していってもいいのかなと思うのですが、 結果的に、私の勤めていた工務店(長野ログハウス建築設計→倒産の直前で「木造建築長野」という商号にかわっています)が倒産する3か月前に完成、引き渡しをしています。

私は現場カントクとして、資材の調達や業者の手配、工程の管理、建築主さんとの打合せなどを担当していたのですが、 経営状態が悪く(本当に?)、経営者らは毎月の資金繰りも大変そうで(本当に?こんなに仕事してるのに?)、 仕入れ先や取引業者に、請求書の額面通り支払いができず、私が思うように材料が買えないのです。(最初に責められるのは、現場監督なのです)

現場で大工さんに胸倉をつかまれ、工事中のこの壁に突き倒されたのを、いまでも昨日のように覚えています。

その様子をじっと見ているほかの職人さんたちの冷たい視線をいたいほど浴びながら・・・。

いくらイイモノをつくっていても、 いくら過去の実績があろうとも、 いくら受注残棟数があろうとも、 約束したサイトで支払いが出来なければ、取引は続きません。

会社の後輩の何人かはすでに辞め、人生で最も長い時間を共に過ごした上司も、この物件の工事中に辞してしまいました。

社長は体調をこわしたということで会社にほとんど出てくることがなく、まさに四面楚歌。

新規仕入れ先を開拓し、ポケットマネーで前払いしたり・・・。

今となっては「なんであんなことしたんだろ?」と思わざるを得ない行動をしながら、牛歩で現場を進めていたのです。

当然ですが、予定工期を狂わされた建築主のKさん。

おそらく3か月以上は引き渡しが遅れたのではなかったか。  

わたし自身、幾度会社を辞めようと思ったことか。

帰りの車中で、いくど涙を流したか。

ここ原村だけでなく、いくつかの場所で、いくつかの現場が同じような状態にありました。

うぬぼれかもしれませんが、私が辞めたらすべての家が完成しない— その想いだけが、私をふみとどまらせていたと思います。

だからこの家ができた時は、ほんと嬉しかったなぁ。 

そして今こうして10年が経ち、10つ歳を重ねたお互いは、まさに戦友の再会。 抱きつきたくもなるのです(*´ω`)  

2010年12月1日、完成引き渡し。

年末に給料が初めて滞り、それでもあきらめきれず、社長を信じ、 1月、2月も同じように信じ続けて完成を目指した日々-。

ついにその日がやってきた。

2011年2月28日、社員5人、全員に対して解雇通知。

絶望と無力感だけが残った3月がはじまりました。

全てを失った感覚はありましたが、ホッとしたのもあり、 まさに泥のように眠り続けていました。

とはいえ工事中だった建物のことも気にはなる。 でもどうしようもない。

せめてもの救いは「完成保証制度」。

全棟加入していたから、工事の続きの引き受け手がいればなんとかなるだろうとタカをくくっていた3月。

無職で貯金通帳には2万円。

クレジットカードのキャッシングの返済期限は過ぎキツイ督促。

住宅ローンは3か月滞納しており、まだ残債は2000万超。

失業保険、雇用保険の入金日は早くても3か月後だとハローワークの担当者。 

絶体絶命、というのはまだ意欲・意志がある人に対していえることで、 魂が抜けた私は、そんな風に自分のことを客観的にみることもなく、 さて、どうやったら妻や子供たちに償いができるだろうか、 ということばかりを一日中考えていました。

鳴りやまぬ携帯電話はとっくに電源を落とし、着信履歴を深夜に確認。

多い時で500件以上の履歴。携帯電話会社から、解約手続きにくるようにとのメッセージ。 もはやこの世にいる場所はない—

せめてこの家を競売ではなく任意売却で処分し現金化するところまではやっておかなければ。 かけていた生命保険の内容はどうなのか?  

24時間のうち22時間寝て、2時間はぼんやりそんなことばかり考えていた日々。   (この続きを望む声があれば、つづきはまたいずれ。)

2020.11.24 Reborn塩原

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