長野県北部神城断層地震から早くも1カ月が経ちました。
ここ長野市でもけっこう揺れまして
「あぁ~、もうだめっ!」
って思った方も大勢いたはず。
でも、1カ月もするともう忘れちゃうから恐ろしい・・・。
私もその一人ですが笑
地震はこの先もきっと度々起こることでしょう。あと何回経験するでしょうか。
そのたびに「あwww、今度こそダメだっ!」って思ってら身が持ちません。
家は代々続くもの。
「お父ちゃんはなんでもっと地震に強い家をつくってくれなかったのだろう!」
「あの建築士は、イカサマダッタノカ~」
と思いながら下敷きになって昇天するのはゴメンです。
今日はそんな恐ろしさを味わい、いざ行動に移そうか、耐震補強をするかどうか迷っていらっる方の家へ訪問。
以前新築させていただいたOBの方のご実家なのです。
築53年。堂々たる風格漂う外観。
聞けば、この家に住むK母さんが、53年前、この家に嫁いだ翌年に建て替え、新築したそうです。
当時はまだまだお隣さんや親戚同士が寄り集まって、みなで協力しながら、素人なりに家を造ったんだとか。
大工さん(棟梁)はそのころすでに存在していたでしょうが、
出来そうなことは、どんなことでも自分たちでやっちゃう、そんな時代だったんですね~☆
いったいどのくらいの長さがあるのか・・・
縁側の軒を支えるこの杉丸太は、お隣さんらが協力して皆で皮むきをし、皆でぴかぴかになるまで磨いたそうです。
53年経った今でもその時の情景が思い浮かぶそうで、78歳の家主さんは目を細めていました(-.-)
建築主によるDIYは、最近になって流行り出したのかとばかり私は思っていましたが、50年前には、今よりもよっぽどその範囲が広かったようです。
なが~いその軒桁は1本モノで、ざっと目見当で12mはありそうです。
窓もほとんどが木製(栗のようです)で、当時のまま今もなお現役で活躍しています。
新築当時のコンセプトは「旅館のような外観」を目指したそうで、なるほど、各部屋にかならず床の間があります(^ム^)
押入れがなくて、床の間。
相当な入れ込みようです。もしかしたら将来、旅館として利用できるように考えていたのかも。
1カ月前の地震の時は、そりゃもう腰が抜けそうになったそうで、現代でいうところの「耐力壁(たいりょくへき)」はほとんどありませんから、
引戸上の差し鴨居(さしかもい)や土壁の中の貫(ぬき)で揺れに対抗し粘ったはずです。
当然家の中の土壁はあちこちでひび割れが発生。
引戸も場所によっては外れてガラスが割れてしまったそうです。
しかし日本家屋は趣がありますね。
手間をかけて人間の手が作ったものは、独特の品があります。
こちらは玄関ですが、この引き戸のデザインといい、ランマの斜めクロス格子といい、土間床に埋め込まれた石の並びといい、
「あぁ~、こういう日本人のデザイン感性が、最近の家はほんとうに乏しくなってしまったな~」と感じ入ってしまうわけです。
大量生産、短工期、スクラップ&ビルド、お金至上主義
でも、つい50年前までは、こうした木造軸組み工法が当たり前に造られ、職人さんによって進化発展してきたはずです。
・・・・
この50年で日本の木造住宅の品格は完全に狂ってしまったのだ。
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既存の古いお宅の耐震改修や断熱改修に関わり始めて早10年。
私は新築住宅の設計・施工も当然やっているんですが、
こうした古い家の改修・修繕工事は、見るもの触るものが本当に面白い。
ぱっと見、古くて「これはもう寿命でしょ。建て替えた方が安いでしょ」って住む人はおっしゃりますが、
よくよく調査すると、とても丁寧に、真心を込めて作られている家のなんと多いことか。
今の世の、ぱぱぱって出来ちゃう家よりよっぽど長持ちするんじゃないかと思う古い家もいっぱいあります。
単に耐震のための工事を作業的に計画するのではなく、その家のいいところを殺さずに、
引き続き愛着を持って、
より安心して、
住み続けることが出来るような計画を心がけてゆきたいと思います。
地震は確かに怖いのですが、
日本の庶民建築の文化や、
手間暇を惜しまないエネルギーを失うことの方が、もっと怖いことなんじゃないだろうか。
人を思いやる気持ちの無い人間は、いいものを作ることが出来ないはずです。